ARTIST

ゲイリー・オーガン GARY OGAN

オフィシャルHP

■70年代、レオン・ラッセルが主宰するパラダイス・レーベルで、ミュージシャンそしてエンジニアとして活躍したゲイリー・オーガン。ソロとして独立後も、優れたシンガー・ソ\\\\\ングライターとしての資質と、サウンド・クリエイターとしての卓越したセンスと手腕を遺憾なく発揮したアルバムを作りつづけている。

バイオグラフィー

 1952年1月24日、オクラホマ州アードモア生まれ。アメリカ政府に勤務する父の仕事のために各地を移り住んだが、高校入学直前の1968年夏、家族と共にオレゴン州ポートランドに居を定める。少年時代には、ビートルズ、ビーチ・ボーイズからクラシックまで、様々なジャンルの音楽に親しんだが、なかでもデイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」に強く魅了され、ジャズ・ドラムに感心を持つ。高校に入学したばかりの16歳の頃にビル・ラムと出会い、二人は友人を交えてクロスビー、スティルス&ナッシュのフォロワー的なバンドを開始。19歳の頃、彼らは地元ローカルでシングル盤を発表。そのシングルのプロデュースとエンジニアを担当したグレッグ・ブランソ\\\\\\ンは、グループのマネージャーとして、エレクトラ・レコードの西海岸担当ディレクターであるマーリン・グリーンにバンドを紹介、レーベル契約に漕ぎつける。グリーンとブランソンの二人は、そのままゲイリー・オーガンとビル・ラムのデュオ名義による唯一のアルバム『ポートランド』(72年)にプロデューサとしてクレジットされている。
 その後、コンビを解消したオーガンは、ブランソンを通じてレオン・ラッセルにドラマーとして紹介され、LAへ移り住む。レオン&メアリー・ラッセルのセカンド・アルバム『MAKE LOVE TO MUSIC』ではアシスタント・プロデューサーに抜擢され、2曲を提供(レオンとの共作)、ドラマーとしても4曲に参加。そしてラッセルの主宰するパラダイス・レーベル(76年-79年)から念願のファースト・ソロ『ゲイリー・オーガン』(77年)を25歳の年に発表する。パラダイス以降は、オレゴン州ポートランドに戻り、その地で音楽活動を継続。現在まで『LET GO THE HEART』(82年)、『BARCERONA』(00年)の二枚のソロ・アルバムを発表\\している。また彼の楽曲を様々なシンガーが歌った企画盤『VOICES』もある。一時期、同じくポートランドのシンガー・ソングライター、ジャック・マクマホンのバンドのドラマーとしても活動していた。

ディスコグラフィー