Blog by So-Cal Connection

So-Cal Connection Beatlemania to The Kingston Trio

So-Cal Connection <Verse 7>
ビートルメニアからキングストン・トリオ

私は、高校一年生の時に初めてキングストン・トリオの音楽と出会い、銀座のヤマハで彼等の1961年にリリースされた「カレッジ・コンサート」のLPを手にしたとたん、自分は「彼等の友達になりたい!」と本当に思ったのでした。どうしてそう思ったのかは、全く分かりませんし、後に、本当に彼等と友達になるなんて夢にも思っていませんでしたが、その時、本当にそう思ったのでした。正直言って、彼等の音楽をコピーすることとか、ファンになるとかなんてどうでも良かったのでした。それは、その翌年の1971年にアメリカのデビューアルバムを手にした時にも、何故か、同じ様に彼等の友達になりたいと思いました。そして、彼等ともお互いに友と呼べる仲になってしまいました。
まあ、結局は、キングストン・トリオもアメリカも両方共にコピーをすることとなり、それがきっかけとなり、アメリカに渡ることとなってしまったのですが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカとの経緯はいつかお話するとして、キングストン・トリオ(以下トリオと呼びます)について書いてみます。私が渡米した時点では、既にトリオは解散してしまっていて、ボブ・シェーンが名前のみ引き継いだグループが活動していたのみでしたので、オリジナル・トリオのメンバー達と実際に出会ったのは、1981年のオリジナル・トリオのリユニオンの会場にてでした。ボブ・シェーンとのみ、1971年に新宿厚生年金ホールの楽屋で会うことが出来ていて、その後も交流が有り、我がアンティリーズのアメリカ遠征の時には、彼の家に居候させてもらったりしていましたが、他の3人と会う機会は訪れませんでした。
その1981年に、LA近郊に在るマジックマウンテンと言うテーマパークの野外コンサート会場で行われたリユニオン・ショーには、もちろんフォトグラファーとして行ったのですが、私にとっては、そのショーの出来云々よりも、自分が友達になりたいと思っていた4人が勢揃いしていた訳で、何とも言えない不思議な気持ちでいっぱいでした。もちろん、友と呼べるようになるまでには、それから何年も要しました。

そして、彼等を知れば知るほど、デーブ・ガードとジョン・スチュワートはアーティストとしての尊敬の念が深まって行きましたが、ボブ・シェーンとニック・レノルズの場合はミュージシャンとかアーティストと言うよりは、根っからのエンターテイナーと言うか、ファン・ラヴィング・ピープルだったのでした。この二人は、ただ単に歌が旨くて、思いっきり幸運な人達だっただけなのだ!と言ってしまうと元も子も無くなってしまいますが、どちらかと言うと、スポーツの選手的であって、全くミュージシャンって感じではなかったのです。ステージ、ステージを心底から楽しんでいて、その後は滅茶苦茶にパーティーをして、そこで見つけた女の子を自分のホテルの部屋へ連れて帰ることのみに生きていた訳です。まるで、プロ野球の選手とかバスケットボールの選手のメンタリティーなのです。もちろん、イーグルスにしても、アメリカにしても、又、それ以外のこのクラスの有名なバンドも、ツアーの時に彼らがやっていた事は皆一緒だとは思いますが、キングストン・トリオのボブとニックは、最初からそれのみが目的でバンドを始めたってところが違うのです!(笑)こんな事を、日本の妄信的なモダンフォークファンが聞いたら、凄く怒ってしまうこと間違い無しなのですが、これは事実なのです。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

従って、キングストン・トリオは他のフォークミュージシャン達とは、殆ど付き合わず、政治的なムーブメントにも一切参加しなかったのです。そんなことの為に演奏していたのじゃなかったのです!私は、最初にアンティリーズでアメリカを体験してからは、音楽は自分の心を表す為の媒体となり、アートとなって行きました。とは言え、女の子がこの世に存在していなかったら、アートも糞も無いと思うところは、ボブとニックと全く同じなのですが・・・・(誤解を招くといけないので書いて於きますが、ジョンも同じく女の子の為にやっていました。デーブのみはちょっと別格でしたが!)。とにかく、人前で演奏するのですから、カッコ良くないと駄目ですよね!理由なんて要らないんです。「うわっ、カッコ良い!」と思えないとね! ビートルズの4人、そして、トリオの3人はカッコ良かった!デーブ以外のトリオのメンバーにとっては、キングストン・トリオとは、1958年から1967年までの9年間のなが~いパーティーだったのでした。そして、もしかしたら、これこそが本来のパフォーミングアートのあり方なのかも知れないと思います。

 

 

 

 

 

 

日本でのフォークミュージックファンの人達にとって、音楽に入り込むきっかけはキングストン・トリオとか、PPM、MFQといったように夫々異なるのですが、その後、所謂「モダンフォーク」を妄信的に愛しちゃって、他の音楽を聴かなくなってしまう人が殆どだと感じられます。この、「モダンフォーク」と言う言葉自体が日本特有のものであって、日本国外では今や全く知られていない言葉ですし、その当時でも殆ど使われていなかった言葉です。それはそれで良いのですが、私の場合には、キングストン・トリオの本来の姿に触れ、それをそれなりに愛し、理解したつもりですので、他のフォークムーブメントみたいなのには全く興味を持ちませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

キングストン・トリオは、やはりスポーツスター、ロックスターだったのだと思います。キングストン・トリオは、ビートルズやビーチボーイズと同じカテゴリーのバンドなんです。
我がバンド、アンティリーズも、体育会感覚で月曜日から金曜日まで毎日一生懸命に練習をして、週末には試合感覚でステージをこなし、思いっきり楽しむって感じの、私にとっても、数年間続いたパーティーだったと思います。ですから、真剣に反戦だとか何だとか言った音楽よりも、単に、女の子とか車の事を歌っていた初期のビートルズとかビーチボーイズの方が、自分の気持ちに合ったものだったのだと思います。私は、学生時代からフォークソング愛好会とか、サークルとかの集いが大っ嫌いでした。そこに集まる人達の事を嫌っているのではありません。彼らに対する友情と、音楽観とは別のものです。実際に、大学内のサークルであった、アメリカ民謡研究会の集いは楽しかったです。何故かと言いますと、皆、純粋に自分たちがやっている音楽を楽しんでいたからです。
「何の為に音楽やってるの?」って聞かれたら、「女の子の為」ってのが私の答えです。
もちろん、戦争には反対ですので、反戦ソングも書きましたし、それを唄い、自分の気持ちを訴える事もしますが、基本的には、女の子に好かれる為に音楽をやっています。
自分の心の変動は、常に女性によってコントロールされています。愛したり、失恋したり、それこそが自分のエモーションなのです。それ以外の事を唄っても、心と音とが一緒になりません。もし、この世に女性が居なかったら、音楽なんて存在していないと思いますよ!違いますか?

 

 

 

 

 

 

そういう訳で私は、キングストン・トリオとアメリカの連中達と友達になる為にアメリカに行っちゃったのです。でも、本当は何処かでビートルズの様に成りたいって思っていました。そして、そのビートルズの連中も常に憧れていたアメリカだった訳です! 残念ながら、キングストン・トリオを見て、女の子が気絶しちゃうことはなかったですね!やっぱり女の子が気絶しちゃうような音楽の方が良かったな!