龍馬のハナ唄(赤盤) THE HUM OF RYOMA

アーティスト
高浪慶太郎となんがさき ふぁいぶ
NULL
レーベル
プレイタイム・ロック
商品区分
CD
発売日
2010/06/16
品番
PTR001
税込価格
2,933円
ジャンル
バーコード
4540399312170
※ 先頭3桁が「200」の場合は非JANコード(転用不可)
高浪慶太郎(exピチカート・ファイヴ)がお贈りする幕末のラウンジ・ミュージック!!

幕末のラウンジ・ミュージック「龍馬のハナ歌」赤盤「私はテーブルに向ひ腰をかけ月琴を弾いて居ると、龍馬は側でニコニコ笑ひながら聴いて居りました」(維新後のお龍の回顧談。)
お龍がつま弾く月琴の音色を肴に、ちびちびと節を口ずさむ龍馬。お龍が月琴を習った長崎の小曽根キクさんにゆかりの、琴音さん(長崎検番)の月琴と歌をフューチャーし、幕末長崎とエキゾチックな音をちりばめたアルバム。
芸子さんの奏でる素朴な調べを聴きながら、勤王の志士の気分で酒を嗜む。
そんな贅沢な愉しみは、日常的にそうそう味わえるものではない。ならば、せめて月琴の音色だけでも家で気軽に聴けないだろうか・・・?そんなほのかな願いから生まれた赤盤(5月リリース)と青盤(7月リリース予定)。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で月琴(ムーン・ギター)の存在を知った方も多いと思うが、最近では1994年から2006年まで漫画雑誌『月刊アフタヌーン』に連載されていた『ヨコハマ買い出し紀行』で主人公が弾いていたことで若者層に知られ始め、ひそかなブームを生んでいる。今年の大河ドラマ「龍馬伝」によってその認知度はさらに拡がると思われるが、月琴の音を記録したCD等の音源はあまり流通しておらず月琴の音色を聴く機会はほとんどない現状。

本作「龍馬のハナ唄」は、
{CD}お龍が月琴を習っていた幕末の頃、長崎で歌われていた中国の曲(明清楽)や長崎の民謡の他、エキゾチック長崎をイメージさせる洋楽やJ・ポップのカバー曲を収録した12曲入りの音盤。
{冊子}幕末長崎のよもやま話を織りまぜた楽曲解説や、明清楽とその代表的な楽器・月琴の基礎知識等を、絵図・写真入りの豪華24pブックレットで。
{古地図}龍馬が長崎で活動していた時期の、龍馬ゆかりの場所をマーキング・解説した長崎の古地図「肥前長崎図」。現在は暗渠になったり埋め立てられて変わってしまった所もあるが、そんな街並みにちょっと戸惑いながらも、当時長崎を訪れた志士たちも持ち歩いた古地図を片手に、ハナ唄まじりの妄想散歩。・・・の3点からなる、「音曲入り幕末長崎歴史草紙」 である。

龍馬のハナ唄・赤盤 / 楽曲解説

1.「算命曲」(サンミンキョ)
 長崎くんちのシャギリ(お囃子)に導かれ、月琴の胴内に仕込んである金具を“カラカラ”と鳴らす(さぁ、始めますよの合図)そうやって始まるこの曲は、もっともポピュラーな清楽のひとつ。“算命“は占いのこと。家にこもり刺繍仕事をする若い娘が、通りがかりの占いの先生に婚期を占ってもらうが、「三年は無理」と言われ激怒するという内容。ハモニカとの共演。歌は唐音(中国語)で。
2.「長崎ぶらぶら節」~其の一
 なかにし礼の同名小説や映画でも有名な、丸山遊郭を中心に江戸時代初期から歌われたお座敷歌。長崎の郷土史家・渡辺庫輔が編纂した「長崎巷歌類聚」によるとなんと24番まで歌詞がある。今回は青盤にもまたがり普段歌われない歌詞を3ヴァージョンに分け歌い込むことを試みた。これはそのパート1。嘉永七年(1854)、ペリーの黒船来航の翌年のことが歌われている。リズム隊とトロンボーンと月琴との共演。
3.「茉莉花」(メリイフハア))
 これもポピュラーな清楽のひとつ。1番の歌詞に出てくる茉莉花(ジャスミン)、2番の杜鮮(ツツジ)をそれぞれ女性に見立てて歌われている。片思いを告げる勇気が出ず迷っている様子。新妻と一緒に過ごしたいと思う男性・・・そのまま気持ちを歌うのではなく、それぞれを花に例えているところが心憎い。月琴と歌だけのオーソドックスなスタイルを唐音(中国語)で。
4.「紗窓」〜春は3月〜
 清楽のひとつ。大正期の街頭演歌「復興節」の元歌ともなった。“紗窓”とは薄絹のかかった窓のことで、女性を暗示する言葉だとか。ここ長崎では春の風物詩“凧(ハタ)あげ”の様子が日本語で歌いこまれた。カシスというパーカッションとともに。
5.「よさこい節」~其の一
 全5番のうち2番から5番は龍馬の作詞した「よさこい節」の替歌。2、3番は龍馬の江戸在中時に、4番は慶応3年、亀山社中改め海援隊としてリスタートした龍馬達の初船出、“いろは丸”が長崎から出航する際に作られた。5番はその直後に起きた“いろは丸事件”(御三家・紀州藩の船と衝突、沈没)の談判を有利に進めるための世論操作として、長崎の花街・丸山で流行らせたもの。あやしいラテンなテイストで。
6.「平板調」(ペェパンチャウ)(演奏のみ)
 唄がないので月琴の音色の特徴がよくわかる曲。ゆったりとした気分になれる。
7.「長崎ぶらぶら節」〜月琴編〜
 半音階の音が出ない月琴と、半音階の節(メロディ)を持つ「長崎ぶらぶら節」が合わさったユニークな響き。ブルースやロックンロールではよくあるいわゆるブルーノートだ。琴音さんの祖母であり師でもある中村キラさんの編曲。歌詞は通常検番さんで歌われる一番知られているヴァージョン。お座敷では半音の出ない月琴は使わず三味線で演奏される。ちなみに現在流通している月琴は、弦や柱(フレット)の数も昔のものと違い半音階も出るらしい。
8.「水仙花」
 「茉莉花」から派生し日本独自の歌詞をあてた長崎民謡。こちらの方がメリハリがあり、長崎弁の歌詞がなんとも可愛い。ここではソプラノ・サックスと月琴との共演。またこの曲には「紫陽花」という別なタイトルと歌詞のヴァージョンがあり、シーボルトのことなどが唄い込まれている。(青盤に収録予定)
9.「桜坂」(演奏のみ)
 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬を演じる福山雅治のヒット曲のカバー。当初は月琴の物悲しい音色でこの曲のメロディを奏でたらはまるだろうなと思ってカバーすることを決めた。が、半音が出ないパートは主旋律をフルートに委ね月琴はハーモニーにまわる等、いろいろ試行錯誤しているうちにまったく別のエキゾチック・サウンドにいきついた。青盤に収録予定の「ジャパニーズ・フェアウェル・ソング」(SAYONARA)もそうだが、切なさを前面に出したアレンジじゃなくても、とても切ないメロディだと思う。明るそうで切ない、切なそうで明るい、やせ我慢なかんじ・・・
10.「金線花」(キンヅエンフハア)(演奏のみ)
 リコーダーと月琴が妙にうまい具合にマッチした。科挙という試験の勉強のため、伯母の暮らす静かなお寺に身を寄せていた潘という男性が、同じ寺にいた陳という若い尼さんと恋に落ちた。がさすがに尼寺での色恋はまずいということで、伯母の手で二人の仲は引き裂かれ、潘は科挙を受けに都へ旅立つ・・・という内容。
11.「みぃ・じゃぱにぃず・ぼうい」〜長崎弁〜
 バート・バカラックが東京オリンピックの年に作った〜意識してかどうかはわからないが〜日本をイメージした隠れた名曲。オリジナルはボビー・ゴールズボロ。日本ではハーパース・ビザールのカバーの方が知られている。その昔ピチカート・ファイヴもカバーした。歌詞的には日本人同士の恋なのだが、僕はなぜか長崎の国際恋愛を連想してしまう。シーボルトとおたきさん、グラバーとおつるさんとか。前記した「ジャパニーズ・フェアウェル・ソング(SAYONARA)や、ゴールデン・ハーフでヒットした「チョットマッテクダサイ」のように。そんな思ひを長崎弁で。
12.「ある晴れた日に」
 レコーディング中の或る日、「明清楽以外で何か月琴で弾ける曲ありますか?できれば長崎もので・・・」と尋ねたら、「うーん・・・」と琴音さんが即興で爪弾いてくれたのがこの曲。ご存知プッチーニの「マダム・バタフライ」、シーボルトとおたきさんをモデルとしたオペラより。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
僕と月琴

アトランティック・レコードというR&Bの老舗のレコード会社がある。創始者のひ
とりアーメット・アーティガンは、黒人音楽に魅せられたトルコ人。1947年、ニ
ューヨークでいわゆるインディーズを設立した彼は、夜な夜なバーやクラブに立
寄っては情報や噂を収集し、才能ある黒人アーティストを探しまわった。そうし
てルース・ブラウン、ラヴァーン・ベイカー、ドリフターズ等を世に送り出し・
・・と、別にアトランティックの歴史を書きたいわけではない。
昨年2009年の晩夏、僕はアトランティック設立当初のアーメットに自分を重ねな
がら、長崎の夜の繁華街・銅座を夜な夜な徘徊していた。探していたのはR&Bのア
ーティストではなく、月琴の弾き語りができる女性・・・始まりは7年前、ご多分
にもれず司馬遼太郎の『竜馬がゆく』であった。月琴という楽器に思いを馳せた
。思いあまって自分でも買ってしまった。教則ビデオを見たら“女子十二楽房”
が何チームもいるような大人数で合奏していた。「うーん何かちがう。やっぱり
着物の女性がひとりで爪弾かないと・・・」それから7年間僕の月琴はほこりをか
ぶったまま無音だった。
一昨年、病を患い横浜の病院に入院した。昨年の春、凧★はた★あげのころ長崎
の病院に転院し5月の連休明けに退院。以来、治療・療養のため故郷の長崎で暮ら
している。せっかく長崎にいるんだから月琴の生音を聴きたいな・・・音楽の匂
いのするバーを数軒、友人に教えてもらった。十八歳で上京した僕にとっては、
昨年が実質的な銅座デビューだった。迷路のような路地を迷いながら月琴の音色
を探し歩いた。「検番さんにひとりいるみたいよ、月琴を弾く人」ある夜そんな
噂を耳にした。翌日、梅園天満宮・丸山華祭りでの奉納演奏の依頼を受けた。「
検番さんに月琴を弾く方がいるって聞いたんだけど、もしその方と共演できるの
なら・・」とお答えした。「あぁ、いますよ。会ってみますか?」・・・

当り前だけど、着物を着た女性だった。ひとりで月琴を爪弾いて唄ってくれた。
亀甲★ぎこう★を持つ右手の動きがとてもしなやかで、ハッという掛声がとても
つつましやかで・・感動した。しかもなんと中村キラさん(次項参照)のお孫さ
んだった!
二ヶ月後「おばあちゃんだったら、たぶんやらないと思うけど・・・」
そう言いながらも琴音さんはスタジオに来てくれた。
琴音さんと月琴づくしの音盤。月琴・明清楽・幕末長崎のよもやま話がいっぱい
の冊子。龍馬ゆかりの場所をマーキング/解説した長崎の古地図。
以上3点をセットにしたこの「龍馬のハナ歌 赤盤」を、
天国で眉をひそめられてるかもしれないキラさんに捧げます。

                           高浪慶太郎
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
私と月琴

 私が、初めて月琴の音色を耳にしたのは、産まれて間もない頃だと思います。
 地方公務員の父と、銀行員の母。一人っ子だった父を女手ひとつで育てた祖母
。狭いアパートの中で、私は2歳くらいまで一緒に暮らしていたと聞いています
。その祖母が、幼い私をおぶって、月琴を教えて廻っていたらしいのです。
 祖母の名前は中村キラ。周りの人たちからは「キラさん」と呼ばれていました
。彼女は若い頃、長崎町検番で「地方★じかた★」をしていました。月琴もその
当時、手ほどきを受けたようです。指導してくださったのが、小曽根★こぞね★
キクさんという女性です。
 坂本龍馬が嫁取ったお龍さんを連れ、名前を隠しながら数ヶ月滞在した先の娘
さんが、その方だったそうで、お龍さんもまだ子どもだったキクさんから月琴を
習っていたという事です。
 日本が鎖国をしていた時代、唯一外国と交流があった長崎の港のすぐそばに屋
敷を持ち、数カ国後を話していた小曽根家の主人は、貿易商のような役目の他に
、外国からの使者たちを接待し、時には監視する役割もあったようです。
 中国から渡来した月琴も、日本人として最初に手にしたのは、小曽根家の人た
ちだったのではないでしょうか。その音色に惹かれ、曲を習い、他の人々に教え
ひろめていく…。どれ程の月琴が輸入されたものか、資料がなくわかりません。
いま、奇跡的に私の手元には四体の月琴があります。

 話を戻します。祖母と別居した後、私は四歳の頃から、ピアノを習うようにな
りました。そして再び、月琴と出会うのは、祖母が渡瀬さんという女性と“明清
楽保存会”を立ち上げた後でした。その頃、保存会には年配の女性が多く、若い
世代も是非にと、女の子たちも習い始めました。“キラさんの孫娘”という事で
、必然的に教えられたのが、私が中学生になる頃でした。楽器を触るのは好きで
したが、中国語の歌詞には閉口しました。意味もよく理解できぬまま、楽譜も無
い状態で…、物覚えの良い年頃だったんですねぇ。
 結婚して子育てを理由に、一度は保存会とも月琴とも縁を切ったつもりでいた
のですが、祖母が高齢になり、実家の母から姪っ子たちに月琴を教えて、祖母の
前で演奏して元気づけてやってくれと頼まれ、目標達成したら祖母が亡くなり…

 生前祖母の遺言では、死後、月琴は博物館に寄贈してとの事だったようですが
、母は「楽器は音を出すもの。演奏できる人間がちゃんといるのだから」と、手
放さなかったのです。
 まさか数年後、その月琴を手に私が長崎検番にはいる事になろうとは…。
 しかしながら、私も月琴の音色に癒された者ですから、一人でも多くの方に聴
いてもらいたく、できれば、また次の世代の方に、受け継いでもらえればと願う
ばかりです。
 最後に、まだ技量も経験も未熟な私に声をかけてくださった高浪氏と、その好
機に巡りあった不思議に、感謝いたします。

平成22年 春 琴音
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー

ディスコグラフィー