Blog by 大貫憲章

カンツォーネという音楽がイタリアにあったころ

 最近、フェイスブックで「友達」になった人に伊藤銀次くんという思い切りベテランの、いわば自分と同世代のギタリストがいるんだけど、彼のことは、実はそんなによく知らなくて、大昔、彼がデビューした頃、多分60年代末くらい?の、バンド「ごまのはえ」のそのデビュー・シングルだと思う「留子ちゃんたら」をサンンプル盤で持っている、というくらいのもの。

 まぁ、実際のところは後学になるんだけど、ザッと彼のことをチェックしてみたら、案外知ってることも多くて、大瀧詠一さんのナイアガラ・レーベルの第1号所属バンドになるはずだったココナッツ・バンクも彼のバンドで、すぐ解散したために、その栄誉に浴することはなく、ただ、そのつながりで山下達郎くんのシュガー・ベイブにも参画したりと、時代の先端を走り、その後も、佐野元春くんのデビューを手伝ったり、CMソングやプロデューサーなどの仕事も意欲的に行ない、ソロでの活動とともにいろいろな分野で多岐に渡る仕事を行なって来ているチョーベテランなのである。

 ちなみに、タモリのご長寿番組「笑っていいとも」のあのおなじみのテーマ「ウキウキWatching」も彼の作曲になるというからビックリ。印税とかすごいのかな?な〜んて思うのは下衆の勘ぐりというヤツでしょうか。

 ともかく、その伊藤銀次くん、ギンちゃん(とすでに気安く呼ばせてもらってますが)の方から友達申請があった時は、さすがにいささか驚きました。それまで顔を合わせたことくらいはあったけど、話をしたなんてことは多分なかったから。でも、ネットを通じて知り合い、話をするうちに自分と同じような音楽体験と世代感覚の持ち主だということが分かるようになり、これから、いろいろと今の時代に向けて、あの時代を共有するぼくらでないと出来ないようなモノやコトをともに発信していこう、という結論に至った次第。具体的にナニをどうするとかありませんが、個々でも二人あるいは他を巻き込んで多くの、でも何でも、とにかく、この時代に向けてナニカを訴えたいという気持ちなのは確かです。上から目線ではなく、気持ちや感情、感覚の共有を目指していければ楽しくなりそうなんですよね。60代と10代、20代とかが連携してサムシング・ニューが生まれたらとかね。

 そんなエラそうな意識は正直普段着ではないんです。じゃあ、どういうこととか話すのか?と言うと、例えばイタリアン・プログレのことをぼくがコメントしたりすると、彼から「イタリアの音楽とかは、ぼくらにはかつてカンツォーネという形で普通に聴いていたから入りやすいね」とかいう感じのレスがあったりするわけです。

 そう、カンツォーネ。これって今の、てゆーか、40歳以下の人には聞き慣れないワードかも。カンツォーネはイタリアの流行歌みたいな、つまりポップスで、60年代に日本にもたくさんヒット曲や歌手が紹介されたんです。今以上に日本とイタリア、フランス、ドイツなんかの距離は音楽的には断然近かったように思いますね。

 フランスは特にそうで、シャンソンが古くから日本で人気でしたから、シルヴィー・バルタンやフランス・ギャル、ダニエル・ビダルなどドイツからもカテリーナ・ヴァレンテなどがザ・ピーナツと相互に友好関係を築いたり、とにかく、今よりはるかにワールドワイドな交流が芸能界や音楽シーンで存在していたのは事実です。

 カンツォーネは日本とイタリアの友好に何よりも大きく貢献したことは明白で、イタリアの歌劇や民謡なども一般に広く親しまれていました。その中で特に人気があったのが女性歌手ならこのジリオラ・チンクェッティでしょうか。男性だと、ボビー・ソロあたりですね。彼らはイタリアで成功してすぐに日本でも紹介されイタリア以上の人気者、アイドルになっていったというのが素直な印象です。そのカンツォーネをギンちゃんとフェイスブックでのやり取りで改めて思い直した大貫です。もっとも、自分のチョイスして作ってある音源CDなどには随分前からこのへんの曲やアーティストは常連で、グループサウンズやリバプールサウンドなんかと同様のお気に入り、というわけです。日本人の琴線に触れる、切なく、甘く、翳りある音楽、それがイタリアのポップスやロックのひとつの魅力でもあるんです。

 では、映像でも確認して下さい。ジリオラ・チンクェッティの64年のサンレモ音楽祭優勝曲、「夢見る想い」。日本でも、伊東ゆかりだかにカバーされ大いにヒットしました。流行ってる曲は素早くカバーする、というのは60年代では当たり前でしたから。ストーンズなんかその典型ですよね。

Non ho leta – Gigliola Cinquetti Sanremo 1964