Blog by 大貫憲章

プリンスが急逝だって!?ワタシより若いのにねぇ。。

 みなさんもとっくにニュースでご存知でしょうが、また偉大なミュージシャンがいきなりこの世を去りました。プリンスが21日(現地時間)の朝、プリンス御殿と称された地元、ミネアポリスのスタジオ&住居であるペイズリーパーク・スタジオで死去したというニュースが世界中を駆け巡りました。自分はBSのワールドニュースでこのことを知りました。世界中の西欧諸国のほとんどがこの訃報を伝えていました。彼のヒット曲で人気爆発のきっかけになった1984年のナンバー「パープルレイン」にちなんでか(プリンスの好きな色でもありました)、世界中の主なランドマーク、建造物、タワーなどが紫色にライトアップされた映像がほぼ一日中映し出されていました。

 そして、言うまでもなく、多くのファン、ミュージシャン、音楽関係者はもちろん、各方面から悲嘆の声が寄せられ、彼の人気や影響力の大きさを改めて実感することとなりました。そして、何より驚いたのは、バラク・オバマ現アメリカ大統領までもがツイッターで「世界は大きな才能を失った」旨の声明というかコメントを発表しました。同じアフリカ系アメリカ人だからなのか、個人的にファンあるいは親交があったのか、そこまでは知りませんが、これは異例のことですね。ただ、日本では熊本地方の震災のためか、報道も控えめでイベントのようなことも大きくは取り上げられませんでしたが。

 個人的には「専門外」な自分ですが、彼の果たした音楽的な功績や偉業は十分に理解してると思っていますし、好きな曲もいくつかあります。DJとして使用したものももちろんあります(ロンナイでさえ!)。そして自分でも実は驚きなのですが、なんと!この大貫はプリンスのアルバムの解説を書いたこともあるんです!!まぁ、今となっては遠い昔のことで、自分でさえにわかには信じられない感覚です。しかし、事実です。

 その作品は彼の3枚目、1980年に発売された「Dirty Mind」(日本のタイトルは何だったかな?)で、正直、なぜ自分におハチが回って来たのか?よくわかりません。ただ、頼まれた記憶と、その時のレコード会社の担当者氏の言ったことはよく覚えてます。曰く「大貫くんはストーンズとか好きでしょ?このプリンスって人は黒いミック・ジャガーって異名があるんだよ」と。そういう簡単というか安易なやり取りで、なぜか引き受けてしまいました。言うまでもなく、その後は二度とそういう依頼は来ませんでしたが。(この記憶が果たして正しいのか、あるところにこのことを書いたら、「大貫さん、それは違うと思いますよ。大貫さんが解説されたのは4枚目の「Controversy」ですよ。なぜなら(その方が)その解説を読みましたから」とのご指摘をいただきました。でも、自分的にはジャケットや曲目などが「Dirty Mind」のように思えてるんですよね。この読者の中に改めてご指摘いただける方がおられることを期待してもいます。宜しくお願いします〜。

 プリンスは自分より8歳若く、7歳で自作の曲を書き、ギターを始め多くの楽器を操りボーカルも卓越した力量と個性の持ち主で、要するに「天才」のいうにふさわしいアーティスト/ミュージシャンでした。80年代のアメリカン・ポップ・ミュージック界において彼ほどの活躍と貢献をした者は他にいない、とさえ言っても過言ではないと思います。少なくとも自分個人は、マドンナやマイケルより印象深く、音楽的にもクリエイティブだと確信しています。まぁ、自分的には「ソウルの人」だったので深くは追求しませんでしたが、ただ「ジミヘンが生きていたらプリンスみたいな感じになっていたのかも」という漠然とした思いはありました。それが正しいかどうか分かりませんが。

 人間としての強烈な個性とカリスマ性、黒人でありながら白人的なセンスの持ち主でもあり、音楽の先見性や独創性も特筆もの、なんていうところはまさにソックリじゃないでしょうか。いずれにせよ、ボウイといい、この人といい、歴史を作った偉大なミュージシャンが今年続けて亡くなるなんて音楽ファンとしては聞きたくないニュースです。しかもプリンスはまだ還暦も迎えていない(アメリカに還暦の慣わしはないでしょうけど)57歳の若さで、です。自分よりはるか年下なんですよね。

 今は彼の遺した音楽の遺産を自分なりに心の片隅に置き留め、冥福を祈るばかりです。ジミと天国でセッションしてくれ〜!!なんて不謹慎ですかね。でも、見てみたいデス!

パープルカラーに染まるナイアガラの滝!

東京タワーも紫色に!でも、コレはプリンスと関係なかったとか。。偶然にしてもすごいタイミングですねー。

これが自分が解説したと思っているアルバム「Dirty Mind」。1980年作

こちらが「大貫さんが解説されたのはコレですよ」とご指摘のあったアルバム『Controversy」。1981年作。自分でも記憶があやふやで困りモノです。