Blog by So-Cal Connection

So-Cal Connection by Kaz Sakamoto ・・・今やロック・フォトグラファーだぞ!

 

 

 

 

So-Cal Connection <Verse 3>
このジョン・ネプチューンのセッションで知り合った、ギターリストのロビン・フォードと彼のバンド、イエロージャケットのコンサートがロキシーであり、ロビンから頼まれて写真を撮ることになりました。この様な場合には、撮ってみて、ミュージシャンであるロビンが何枚選んでくれるかによって、ギャラが左右される訳です。ロキシーの様なクラブでのショーは普通アーリーショーとレイトショーの2つ有り、アーリーショーが8時からで、レイトショーは大体11時からというのが普通です。日本のショーみたいに6時半開演なんてのはあり得ません。11時からのレイトショーは、まず12時位まで遅れるのが普通で、ショーが終わると大抵2時位になってしまいます。

このロビン・フォードのショーの私のパスはレイトショーの物だったので、10時位からロキシーの前でカメラバッグを肩に掛けて、待っていました。アーリーショーが終わると入れ替え制ですので、お客さんがドアから出て来始めました。その中でスーツを着込んだ男性が3人と、イブニングドレスを着た女性2人がドアから出てきたのですが、その中の男性の一人が私の方を見るなり、私に近づいて来て、「君はフォトグラファー?私はヤマハインターナショナルのアートディレクターなんだけど、このショーの為にフォトグラファーを雇っていなかったんだ。写真が上がったら、私に見せてくれないか?これが私の名詞だから、ここへ連絡をしなさい。」って名詞を貰っちゃったのです。彼はヤマハインターナショナルのアートディビジョンのディレクターでした。

余りよく話が飲み込めていなかったのですが、このショーの写真が上がると、まずロビンに見せて、選んでもらってから、このアートディレクターである、ダグラス・バトルマンに連絡を取りました。ヤマハインターナショナルはブエナパークというディズニーランドで有名な町に在ったので、ガーディナから30分位の距離でした。
翌日、早速会って下さることとなり、全てのポジを持参してミスター・バトルマンに会いに行きました。すると、既にディールが準備されており、「撮った写真は全てヤマハが管理するが、所有権はヤマハに移行しない。そして、ポスターとかに成らない限りは、ヤマハがスポンサーするミュージシャンのショーを1つ撮る度に、写真の枚数に限らず$650.00支払う」という条件なのでした。私は1秒も惑わずにサインしちゃいました。
今だったら$1,000.00じゃないとやだとか言って、最終的に$800.00位で交渉を成立させる事が出来たのでしょうが、その頃は「ナイーブ」の塊でしたので。それに、ミュージックライフでの給料とほぼ同額を1晩で稼げちゃう訳ですから、全然問題無いと思えたのです。こうやって今度はヤマハインターナショナルのスタッフ・フォトグラファーになっちゃったのです!

このフォトグラファーとしての生活は、基本的にはLAとその周辺にやって来るミュージシャン達を追いかけて写真を撮っているだけで成り立っていたので、自分の夢への最短距離にあったと言える仕事でした。
もちろんスタジオでの撮影もたまにやっていましたが、基本的にはステージでのタングステンライト下の撮影が中心でしたので、エクタクロームのタングステン用フィルムのASA160を2ストップ増感させて、ASA640のスピードで撮るのが常でした。それでも全然絞り込めず、開放に近い状態で、静かに撮らなくてはならなかったステージが多かったです。特にクラブの場合には、アリーナのショーよりずーっと暗いので、苦労をさせられました。82年になり、3M社がタングステン用のASA640のフィルムを発売した時には、跳び上がって喜んだものです。これを1ストップ増感させるとASA1280となる訳ですから、もう何処でもへっちゃらでした。ちょっと粒子は粗かったのですが。

 

 

 

 

 

こうした中で、ある時ふと気が付いたのですが、ステージの上のバンドを撮っていて、メンバー全員のソロの写真と、全体とを色々の角度から撮る訳ですが、ソロの写真を撮る時に、どのミュージシャンでも同様なのですが、大体80ミリから300ミリのズームで撮っていたので、フレームを決め、フォーカスと露出を確かめ、一番良い瞬間が来るのを待つのですが、その時に、自分のカメラのビューファインダーに入っているミュージシャンの音と声しか、自分には聞こえていないのでした。まるで、ミキシングブースで、コンソールのトラック毎に聞き分けている様な状態です。
それだけ自分が決定的な瞬間を撮る為に、神経を集中させていたのだと思いますが、自らそれを意識しても同じことが起きるのです。これは非常に楽しい体験でした。

 

 

 

 

 

 

その当時どんなミュージシャン達の写真を撮ったかと言いますと、もちろんデビット・リンドレー&エルラヨエックス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、ポコ、JDサウザー、ボニー・レイト、ジョー・ウォルシュ、ダニー・コーチマー、スティービー・ワンダー、ポリス、B52、プリテンダース、トーキングヘッズ、ナック、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ニコレット・ラーソン、キングストン・トリオ、カラパナ、スニーカーズ、アンブロージア、コイノニア、リー・リトナー&フレンズ、ラリー・カールトン、ロビン・フォード&イエロージャケット、ハロルド・ペイン&グラビティー等が、今思い出せるミュージシャン達です。後になってから、テレサ・ブライト、シリル・パヒヌイ等のハワイのミュージシャンも加わりますが、この頃はLA中心でした。<続く>

*一番下のジャクソン・ブラウンの写真は、私の写真の師匠であるTeru Tajima氏が撮った写真です。私もその場に居て撮っていましたが、それらの写真はOCの倉庫に保管されています。<続く>