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So-Cal Connection <Verse 9>Alan Bean その1

So-Cal Connection <Verse 9> Alan Bean
話が前後しますが、そもそもアラバマ州ハンツビルのアメリカ航空宇宙局に行った理由というのが、津川雅彦さんに起因します。確か1981年の秋だったと記憶しています。
津川さんは、この頃ちょうどグランパパを青山のツインタワーで始めたのだと記憶していますが、チャンネルは忘れちゃいましたけど、「世界豪華おもちゃ旅行」という1時間を5本でセットにした番組を企画し、そのアメリカ編のプロダクションマネージメントを私が担当したのです。この頃の私は、基本的にはフリーランサーのフォトグラファーだったので、どうやってこの仕事が転がり込んだのか、思い出せません。
確か、森繁久弥さんを中心としたプロダクションの望月さんと言うマネージャーの方が、この番組のプロデューサーだったと思います。キャスターみたいな司会役の女の子はサリーって言う日本人とアメリカ人のハーフの子でした。

 

 

 

 

 

 

津川さんの会社グランパパの女マネージャーで森下さんという、凄いやり手の女性がいて、その人からクラッシック・ドールの買い付けを頼まれていたのもこの頃でした。どっちが先だったかは分かりませんが、そのお陰で、フランスのジモールとかの人形について、随分と勉強させられたものです。1体が数百ドルから数万ドルのものまで、非常に高価なものでしたので、その買い付けをするのには真剣にならざるを得なかったのだと思います。
アメリカにそういったフランスとかドイツのクラッシックドールのモルドを再生して、リメークをしているドールメーカーが多く居たのです。もちろん、この津川さんと関わり会うまでは、そんな事を考えたこと有りませんでしたけど。結構面白かったですよ。

 

 

 

 

 

 

 

その辺の事は置いておいて、この「世界豪華おもちゃ旅行」のアメリカ編は、アメリカを代表するトンカの黄色いトラックと、人間の夢であり、おもちゃの延長線上と津川さんが考える宇宙計画の取材が中心だったのでした。トンカの方は、アリゾナ州の本社工場の取材と、LAでの、象に実際にトンカのトラックを踏ませても潰れないって言う、有名なコマーシャルの再現をさせることでした。これは余談ですが、撮影にはもちろん、調教されている撮影用の象を使ったのですが、こういった象は、絶対に自重を掛けて何かを踏み潰すことが無いように訓練されており、どうやっても、トンカのトラックを踏み潰せないのでした。トンカのマネージャーは冷や汗を流していましたけどね!

 

 

 

 

 

 

そして、宇宙計画の方は、アラバマ・スペースセンターに於いて、スペースシャトルの宇宙飛行士ジャック・ルースマをインタビューしたいと言うリクエストだったのです。
私がジャック・ルースマと連絡を取りますと、ちょどその時には、旅に出てしまっており無理であると言うことで、代わりの宇宙飛行士を探していた処、これも、ジャックの紹介で、アラン・ビーンと言うアポロ12号のルナモジュール(月面着陸船)のパイロットとして、人類で4番目に月を歩いた宇宙飛行士が都合がつくとのことでした。
私は、元々マーキュリーから始まり、ジェミニ、そしてアポロと、大の宇宙計画ファンであり、中学生の頃、必ず夜中に起きていてテレビに噛り付いて見ていたものでしたので、もちろん、アポロ12号のピート・コンラッド、アラン・ビーン、ジム・ゴードンの名前は知っていましたので、ジャック・ルースマに会うのよりも価値が有ると思い、飛び上がって喜んだものです。

早速アラン・ビーン氏の自宅に電話をして、ハンツビルでの予定を話し、フライト等のアレンジをしました。我々撮影クルーは、2日前にハンツビルに入って、ビーン氏の居なくても良いシーンの撮影を済ませておきました。日本から来たクルーの人達は、皆、私がハンツビルに詳しいのに目を丸くしていました。その当時、アラバマのハンツビルなんて町を知っている日本人は殆ど居なかったと思います。
さて、アラン・ビーンがやって来る当日の朝です。我々が宿泊していたのは、シェラトン・ハンツビル・エアポートと言う、一応シェラトンホテルなのですが、文字通りエアポートホテルで、エアーラインのチェックイン・カウンターの上の階なのです。本当のエアポートホテルですね!空港からゼロ分ってやつです。
朝目覚めると、外はまるでピースープの様です。凄い霧で、一寸先が見えない状態です。
慌ててアランに電話をしますと、「取り敢えずヒューストンからアトランタまでは定刻通りにフライトが飛んでいる。そこから先は分からないが、とにかく、予定通りにそちらへ向かう!」とのことでした。この日は、ここでの撮影を終えた後、そのままクルー達はニューヨークへ飛び、そこから翌日ヨーロッパへ向かう事になっており、私の方は、ここで仕事が終わり、クルーと分かれてマーガレットに会いに行く事になっていました。
ハンツビル空港は午前10時の段階で、離着陸が全く不可能な状況でした。そこで、私の独断で、クルー全員のホテルをもう1晩延長しました。これが本当に幸いしました。午後になっても晴れなかった霧のお陰で、午後3時過ぎには、空港と、このホテルのロビーには長蛇の列が出来ていましたので。さて、プロデューサーが頭を抱える中、私は何とかしてアランと連絡を取らなくてはなりません。彼の乗ったフライトがアトランタに到着した事は確認出来たのですが、その後のアランが何処に居るのかが全然分からなかったのです。携帯電話なんて無い時代でしたからね!

 

 

 

 

 

でも、アランは月まで行って来た人なので、ハンツビルに来るのに迷う事も無いだろうと、私自身は心配しておりませんでしたが、お財布を握っているプロデューサーに取っては気が気でなかったと思います。ヨーロッパのスケジュールも全て1日づつずらさなくてはならないのですから。午後4時頃に、その日最初のフライトが入って来ました。そのフライトはアトランタからのものだったのですが、私がアランの為に予約したフライトでは有りません。でも、ちゃんとアラン・ビーンが到着したのでした!
それってので、スペースセンターへ全員で飛んで行き、予定のインタビューを全てその日の中に収録し終えました。さて、それからです。この日のフライトは全て終わってしまい、又しても濃霧にハンツビルは包まれてしまいました。私も、やって来れるかどうか分からなかったアランの部屋までは押さえておかなかったのです。そこで、私の部屋に泊まることに成った訳です。私にとってはもうこれ以上のプレゼントは有りません!
月面を歩いた宇宙飛行士と同じ部屋で寝るのですよ!幸い、私の部屋はツインでしたので、ベッドも2つ有りました。さて、夕食をした後、何処へ行くでもなく、アランは彼のベッドに横になり、私は私のベッドに横になった形で向かい会い、ずーっと話しをしたのです。最初に何を尋ねたかと言うと、もちろん「アラン、こんな質問は何百回も尋ねられているでしょうけど、尋ねても良いですか?」ってまず断ってから、「UFOって本当に居るの?」って尋ねちゃったのです。すると、「宇宙飛行士の立場からはUFOっていう言葉は使えないんだけど、説明の出来ない物が沢山飛んでいたよ」ですって!もうそれからどんな話をしたかは、想像にお任せしますが、私にとってはこのままこの夜が終わって欲しくないっていう夜でした。男と過ごした夜で、こう思ったのって後にも先にもこの夜だけだと思いますよ。

アランは物心付くと直ぐに飛行機を飛ばす事に憧れていて、ティーンエージャーの時に既にフライトのレッスンを始めていました。海軍に入ってから、それまでに夢に見ていた、外から見ていてカッコ良いと思ったマヌーバーをやっとやる事が出来たのですが、自分でやって見ると気持ち悪くなってしまって、思いっきり吐いてしまったそうです。それは、真っ直ぐ上に向かって失速させて、どちらかのラダーをキックして、スピンに入るマヌーバーなのですが、確かに外から見ていると、空中で飛行機が停止した状態に一瞬なり、ラダーをキックした瞬間に、フワッとラダーの方向へスピンする訳ですから、憧れるマヌーバーの1つかも知れません。私の場合は何時もこのマヌーバーを練習するのが怖いって思っていて憧れることは無かったですね。

そうそう、一番凄い話だなって思ったのは、地球の軌道を外れて、月に向かうトランス・ルナ・フライトのちょうど中間地点を通過するのは、フライトによって、起きている時間帯であったり、寝ている最中であったりしたそうですが、クルーが起きていようが、寝ていようがに関わらず、その中間地点を過ぎる時に、行きも帰りも、ピカッと一条の光が飛行船の中に走るのだそうです。それが寝ていても全員に見えていたのだそうです。NASA は寝ていても見えてしまうと言うので、もしかしたら、脳に直接刺激を与えるものかも知れないということで、色々なテストを試みたそうですが、結局何も説明がつかなかったのだそうです。アポロのコマンダーモジュール(指令船)の三角窓の外に、ちょうど編隊飛行のウィングマンの様に並んで飛んでいる飛行物体の様な物も見たとのことでした。ちょっと面白いでしょう?

<続く>