Blog by So-Cal Connection

So-Cal Connection Alan Bean その2

So-Cal Connection <Verse 10> Alan Bean その2

 

 

 

 

 

 

 

<Alan Bean and I>

実は、アランはずーっと絵の勉強をしていたのですが、NASAに在職中は、それが知れてしまうと、フライトスケジュールから外されてしまう可能性が有ったので、常にふせていたそうですが、スカイラブ2号(アラン・ビーンがコマンダーで、ジャック・ルースマがクルーの1人でした)で、その当時での宇宙滞在59.46日だったと思いますが、世界記録を作った後、実際のフライトラインから引退し、宇宙飛行士室長となってからは、おおっぴらに絵を描き始めたのでした。その時点で、アランの描いた作品を1つも見たことの無かった私でしたが、アランのアーティストとしてのマネージャーをやらせて貰えないか?って尋ねましたら、二つ返事で「オーケー」って言われたのにはびっくりしました。そして、「何故か分からないけど、カズは信頼出来ると感じるんだ!」って付け加えられました。その後、簡単な書類でサインを交わし、正式にマネージャーに成り、彼の作品を始めて見たのは、その2,3ヶ月後の事でした。

彼の絵は印象派の技法で、クロード・モネが彼のアイドルだそうです。基本的には自分をアーティストとは思っておらず、ストーリーテラーの立場で、絵で自分の体験を後世に伝えるのが目的であるとのことです。写真で見る月面はグレー1色の完全なモノトーンの世界ですが、アランの作品では、20色以上使用して描かれています。それなのに、メゾナイト地にアクリルペイントを使用して、細かいディテールに拘っていて、そこは、ストーリーテラーとしての責任を果たしているように思えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

<This Is How I Felt To Walk On The Moon>

 

 

 

 

 

 

<Shepard’s Golf Shot>

何度目かにヒューストンの彼の自宅兼アトリエを尋ねた日の朝、たまたまラジオで、アラン・シェパードがアポロ14号で月面でゴルフボールを打った時の話をしていたのですが、その話によると、片手で打てる様に特別にデザインしてもらったクラブで打ったのにも関わらずチップショットとなってしまい、余り上に上がらずに遠くへ飛んで行った様な事を話していたのです。そして、アランの自宅のドアを開けた瞬間に目に入って来たのが、ちょどその時に手がけていた作品で、そのアラン・シェパードがゴルフポールを打ったシーンをバーズアイビューと言うのか、月ではゴッズアイビューと言うのか、とにかく俯瞰で見たシーンだったのです。これにはびっくりしました。何しろ、そのインタビューを本当に出かける前にラジオで聞いた処でしたので。
それで、その話をアランにしながら気付いたのですが、その絵のボールの位置が、アラン・シェパードがラジオで話していたイメージよりも、ずーっと上の位置に有ると思ったのです。ここで、黙っていられないのが私です。何しろ、「名前の無い馬」を作曲した本人のデューイー・バネルに、その曲のコードはこっちの方が正しくない?って自分が弾いているコードをサジェストしちゃうくらいですので・・・・。とにかく、思った通りをアランに話しました。すると、指で、後へ付いて来なさいってジェスチャーをしたので、隣の書斎へとアランの後を追いました。すると、そこには月面のモデルが作られてあり、そこにキャンバスの絵のシーンがジオラマとして再現されてあるのです。その周りには、その時のシーンを捕らえたビデオカメラのクリップ、スチール写真、月面の正確な地図とか、その時の太陽の位置、月面に置かれて影を作っていた全ての機材や、立てられていた国旗等の正確な位置、そして、その影の長さ等が、記載されている資料の山、そして、アラン・シェパードが使用したクラブの青写真とモックアップの実物大のクラブ等、全てを見せられました。そして、「これらの情報と、シェパードの話、それを見ていたエドガー・ミッチェルの話、その全てを基に計算すると、ゴルフボールは確実にこの位置になるんだよ!」って言われちゃいました。
まあ、彼のディテールとはこんな凄いレベルだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

<Hammer and Feather>

それに、アポロ15号のジェームス・アーヴィンが、月面で、真空状態では、重いハンマーと軽い鷲の羽の落下速度が同じである実験をした時のシーンを描いた時には、ハンマーはもちろん簡単にNASAから入手出来ますが、アーヴィンが実際に使用したイーグルの羽は、コロラドイーグルの羽で、あるインディアンの種族の女性から送られたものだったのだそうです。そして、これを描く為のみに、そのインディアンの女性を探し求め、その人からアーヴィンが月面で使用したのと、ほぼ同じコロラドイーグルの羽を手に入れ、それをモデルにして描いたのです。

でも、基本的には非常なロマンチストで、アポロ17号のユージーン・サーナンに贈った作品で、「トレイシーズボールダー」と言うのが有るのですが、それは、写真としては非常に有名な、アポロ計画最後の17号を記念すべき、雄大な月面のボールダー(山脈見たいな物)に囲まれた地形に、ムーンローバーと呼ばれたジープの様な乗り物と一緒にサーナンが写っているのが有るのですが、それを絵にしたものなのです。この作品が出来上がった時には、「トレイシーズボールダー」というタイトルは付いておらず、とにかく、友達のサーナンの有名なシーンを描いた作品なので、出来上がり次第に彼の家に持って行ったのだそうです。すると、サーナン曰く「月面に居た時には、定められたスケジュールをこなすのに精一杯で、息をつく暇すら無く、殆ど景色とかも楽しめなかった。もし、許されたら、月面に娘の名前でも彫って来たかったよ!」と言うことだったので、直ぐに、その作品を持ち帰り、背景のボールダーに”Tracy”って書いて上げちゃったのです。それからこの作品は「トレイシーズボールダー」となった訳でした。

 

 

 

 

 

<Tracy’s Boulder>

こんな素晴らしいアランのマネージャーと成りながら、筑波博の時、そして、横浜駅ビルが新しくなって横浜そごうが大々的にそのミュージアムを売り物にしていた時、又、新宿の伊勢丹、そして、日本橋の三越と結構引き合いにはなり、実現すれすれの所まで行っていたのですが、未だに彼の作品を日本に紹介する事がかなっていません。私の力の無さの現われです。全ては、電通や博報堂に真っ向から戦いを挑んでしまった私の過ちなのです。
そして、中でも現在に近いものでは、津川さんの北海道のサンタクロースの鉄道のプロジェクトの一環で、アランの作品と、アラン自身を日本に紹介出来る寸前まで行っていたのですが、この時も、津川さんのエゴの為に、私の方から降りてしまいました。
私は、自分が月を歩いて来た人から、直接話しを聞いた時の感激を、なるべく多くの人達や子供達に体験して貰いたいと思っているだけなのに、まるで津川さんが月へ行って来て、アランは単なるカメラマンか何かみたいな扱いを受けてしまっては、彼の作品や、ストーリーを直接に一般の人達に伝える事は出来ません。

こんな訳で、目的は果たせていないみたいですが、アランの意志を曲げる事もしていませんので、自分としては、満足感も有ります。

<Helping Hands>                                          <It’s Too Beautiful To Have Happened By Accident>